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「我國の為を尽せる人々の名もむさし野にとむる玉かき」~明治天皇~
靖国神社の鳥居をくぐり、御神殿へ向かって歩くと独特の厳粛さを感じる。御神殿手前の中門鳥居では、戦死者の遺書が毎月掲示されているが、その殆どは家族に向けたものである。それらは、家族としての義務を果たせないままこの世を去る後悔や謝罪の言葉で溢れており、敵国に対する勝利宣言や憎しみの言葉等は見当たらない。しかしながら、この様な靖国神社に関する事実がニュースで伝えられることは殆どなく、戦争犯罪者(A級14名、B及びC級約1,000名)の合祀場所という事実だけが断片的に報道されている。
戊辰戦争後の1869年(明治2年)、明治天皇は国家の為に精一杯献身すること(戦死するなど)が出来た人々を合祀する為に「招魂社」(現在の靖国神社)を設立した。その目的と合祀の対象者から、靖国神社と米国アーリントン国立墓地に共通点を見出す日本人もいる。元々、アーリントン墓地は、南北戦争時にはロバート・リー南軍司令官の私有地であったが、後に北軍に没収され、北軍戦死者を埋葬したことがその起源である。
これまでの靖国参拝批判と同じ論理に従って、アーリントン墓地参拝批判が起きるとすると、正に次の様な見出しの報道になるだろう。「米大統領、かつて奴隷制の維持を訴え、南北戦争を引き起こした3万人の反逆者(南軍)を祭るアーリントン墓地を公式参拝」。周知のことながら、かつての奴隷制や国家反逆者を讃える目的で参拝する者など殆ど皆無である。
そもそも靖国神社は、A級戦犯を讃える為の慰霊施設ではない。靖国神社での合祀方法は、神主が過去の過ちを清めるというキリスト教徒が神から許しを得るシステムに酷似しているものの、多くの人々は亡くなった家族や同胞の来世での幸せを祈願して参詣しており、決して先の大戦での悪行を讃えている訳ではない。
他の民主国家同様、信教の自由が確保されている日本では、靖国参拝は他人から強制される様なものではなく、政治家の靖国参拝についても個人の問題である。したがって、如何なる場合においても、この「信教の自由」を禁止又は非難することはできないはずである。かつて、十字軍に蹂躙されたトルコや他のイスラム教国が、過去の蛮行を理由に、キリスト教徒によるバチカン巡礼禁止を要求することが認められるだろうか。バチカンへ巡礼する現代人は、過去の悪行を讃える為に礼拝している訳ではなく、この様な要求が決して認められることはない。
しかしながら、聖王ルイ9世等、十字軍遠征の主要人物を讃える為に巡礼する者が一部存在するのも事実である。この点に関し、靖国神社の職員が管理・運営している同敷地内の軍事博物館「遊就館」については、多少議論の余地があるかもしれない。筆者自身も、遊就館へは2度足を運んだが、かつて南京大虐殺記念館を見学したこともあったので、一部の国々から遊就館で紹介される歴史の正確性について異論が挙がることも理解できた。だが、一宗教法人として靖国神社職員が同館を運営している以上、これらの展示物・方法等は、あくまでも同館職員の意向を反映したものであり、国家としての判断を表すものではない。
世界中の国々で同じ歴史が教えられることはあり得ないし、辛い歴史ばかりを学びたいという人もそうはいないだろう。米国では、欧米からの移住者がかつてアメリカ先住民から食料提供を受けたという逸話から感謝祭(サンクス・ギビングデー)を祝う習慣があるが、一方でアメリカ先住民にとっては、西洋人による侵略の始まりの日を意味することもあり、この日を祝わないアメリカ先住民もいる。
歴史は常に、その書き手、読み手、時代に左右され、一方的な解釈に偏向しがちな代物である。しかしながら、真実を追求する志さえあれば、「勝者」による一面的な歴史だけでなく、多面的な視座から真実を見つけ出すことは不可能ではない。日本人は、他国民と同様に祖国に究極の犠牲を捧げた人々に対し敬意を払う民族である。グローバリゼーションの深化が顕著な現代社会において、互いの違いを認め合い、尊重し合うことの重要性はより一層高まっている。もし自らの歴史解釈のみに固執してしまえば、隣人の解釈を多面的視座から尊重することなどできるはずがない。
(写真は私が撮ったものです)
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